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第142回 平安時代、橋を守る鬼と人

「鬼の橋」 福音館書店 1998年10月発行 340ページ
伊藤遊/作 太田大八/画家

小野篁(おののたかむら)という実在の人を主人公にした物語です。平安時代の初めごろの人で、たいへん書道が巧みで、みなお手本にするほど美しい書をかきました。詩人で、学者で、そのうえ弓を引かせるとなかなかの腕前。多彩な才能を持つ人だったようです。
そして彼には不思議な逸話が残っているのです。昼間は朝廷で官吏(官僚)を、夜は地獄の閻魔さまの裁判のお手伝いをする冥官をしていた・・・というのです。非常に才能豊かな人だった、と今に伝わる小野篁ですが、少年~青年時代には学問をオロソカにしてちょっとばかりひねくれていたようなのです。

小野篁、12歳。妹の比布子(ひうこ)を不注意で死なせてしまった篁の心の闇が丹念に綴られていきます。取り返しのつかないことをした自らへの怒りやいとしいものを失った悲しみが魂をむしばみ、篁少年の心の成長を阻んでいます。父に見放され、学業が手につかず、町をうろつきケンカをしたり、橋の欄干を蹴っとばしてうさをはらしたりしています。死んでしまいたい・大人になりたくない・・と荒れる篁の空虚な日々を読むのは、ちょっとしんどい。ですが、妹が死んでしまった荒れ寺へと通じる橋を通じて、おもしろい人達と出会います。

橋作り人夫だった父を亡くした小生意気少女・阿子那(あこな)
残酷な殺しを好む鬼だったが、ツノをもがれ力を半分失って「この世」にやってきた非天丸(ひてんまる)
3年前に死亡、そののち地獄にて「この世からあの世への橋」を守る役目についた勇猛果敢な将軍・坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)
彼らとの出会いによって物語に起伏がうまれます。

本来、鬼は地獄にやってきた死んだ人間を「あの世」に導く役目を担っているのですが、たま~に生きているのにふらりと地獄にきてしまう人がいるのです。こういう場合、どうぞお気をつけくださいませ。鬼は生きているものしか食べないのだそうです・・・・・

阿子那は食べられてしまうかもしれないとわかっていても、橋を守ってくれた非天丸とともに暮らすことをやめません。鬼の本性の残る非天丸にも、阿子那を食いたいという欲望をおさえようと苦しんでいます。しかし彼が試練をくぐり鬼から人間に戻っていく様には、勇気をもらえます。阿子那の非天丸への揺るぎない信頼、非天丸の優しさがじんわりしみます。阿子那の強さが頼もしくて、心地よいです。
どの登場人物も、心にもろさをかかえているけれど、世間の荒波をかきわけて生きていく強さがある。
篁にも、強く生きたいとおもう心が芽生え、父を支える決心をするシーンがよかったですね。泣きます。
篁の成長もいいのですが、脇役である阿子那、非天丸、坂上田村麻呂の3人がとっても魅力的です。彼らの今後を知りたくなります。(続編でないかしら。)

作者の伊藤遊さんのほかの著作
「えんの松原」こちらも平安時代の京が舞台。怨霊に祟られてしまった皇子のおはなし。「つくも神」古い道具には神様がやどるという・・小学生の兄妹のものがたり。「きつね、きつね、きつねがとおる」。子供にしか見えないものがあるんだよ。(以前このブログでご紹介)「狛犬の佐助 迷子の巻」石工の魂のやどる狛犬・佐助の物語。「ユウキ」小学6年ケイタ。友だちになるのはみんな何故かユウキという名前。こんどやってくる転校生はどうだろう?

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第55回 きつねの怪しくも美しい行列に魅せられます

「きつね、きつね、きつねがとおる(ポプラ社の絵本2)」 ポプラ社 2011年4月発行 32ページ
伊藤遊/作 岡本順/絵

大人は見ることができるのに、小さな子どもには見えないものがある。
例えば、たくさんの人がいる向こう側。レストランの高いカウンターの向こう側。人や物があるせいで見えない。
でも、子どもにしか見えないものもあるのです。
夜、川べりのせまい道を、家族で歩く。お父さん、お母さん、女の子・男の子の子ども二人。
あちらから、きつねたちが様々に着飾って、歩いてくる。神主さんと白無垢・紋付き袴を着たきつねの嫁入り、皿回しや南京玉すだれを披露するきつねの大道芸、卵をお手玉したり火を吹くフライパンを持つコック姿のきつねの料理人たち、牛車と束帯姿のきつねのお祭り。
狐火が、川面と狐の行列を照らす。
おかあさん、おとうさんには見えない。子どもにしか見えない、華やかで美しいあやかしの行列がとても魅力的です。
最後、家族はタクシーに乗りますが、タクシーのマークがきつねの提灯みたい・・・。お家へ帰れるのでしょうか。それとも異界へ連れて行かれるのでしょうか。
きつねたちの美しい行列を見に、異界へ行けるのならそれもまた良いのかもしれない。