「みどりの船 (あかねせかいの本)」 あかね書房 1998年5月発行 32ページ
 クエンティン・ブレイク/作者 千葉茂樹/訳
夏休みの2週間を、おばさんの家で過ごす姉と弟のきょうだいの物語です。
 入ってはいけないと言われたけれど、壁を乗り越え、よそのおやしきのお庭へ。
 そう言われれば言われるほど入りたくなってしまうんですよね。なぜ入っちゃいけないのかを言ってくれないから。
 自然の森のようにワイルドに生い茂った木々の枝をかきわけかきわけ歩きます。ジャングル探検のような気持になる二人。その先の開けた場所で「船」を見つけます。
 煙突もマストもある船なのです。ただし木々を刈り込んで作られた船の形のトピアリー。
 船には、ほんものそっくりの舵のついた小屋もあります。遠くが見渡せる素晴らしい場所です。
入ってはいけない庭に入り込むとやはり見つかってしまうものなのですね。
 やせた女の人が小屋に入り込んだ僕らを見上げていた。
 「水夫長!あそこにいるのはだれでしょう、密航者ではないかしら?」
 「この者どもをどうしたらいいかしら?どれいにしましょうか?」
 ど・どれいですか!?おそろしいところに入り込んじゃったのでしょうか、どきどきしますがダイジョーブ。 そばにいた庭師にしか見えない水夫長は、こういいます。
 「まだ、こどもですぜ。 甲板みがきをさせるってのはどうです?」
 「そうね。それが終わったら、お茶にしましょう」
 甲板みがきは、お庭のおちばそうじのことでした。そして、甲板みがきが終わったら、ケーキとサンドイッチまでついている本物のおいしいお茶を楽しんだのです。
 「水夫長に浜までおくらせましょう。あしたもいらっしゃい。きっと船長もよろこぶでしょうから」
 女の人は、トリディーガさんといいました。
 庭の船の操舵室にある写真にうつる男の方を船長と呼び、おそらくトリディーガさんのご主人。小さな写真の絵ですが船乗りのようではないような服装です。ご主人はお話にでてきませんので亡くなっているようなのです。
トリディーガさんときょうだいは夏をともに過ごします。暑さしのぎにライムジュースを飲んだり、輪投げをしたり、古い地図をみせてもらいました。庭にあるいろんなものを見立てて空想の航海をします。例えば、一本だけあるヤシの木を見てエジプトにいる、と空想します。毎日毎日世界中を旅行した気分になるのです。
 空想することの楽しさが伝わってきます。大人になると想像にひたりきるのは難しくなるとおもうのですが、トリディーガさんはやすやすとその壁を乗り越えているようです。現実と空想のはざまにいるトリディーガさんが不思議で魅力的です。
夏休みの終わる最後の日、トリディーガさんの庭で夜を過ごす許可をもらいました。
 どんどん天気が悪くなり嵐がやってきます。
 子どもたちとトリディーガさんは庭の船にのって、最後の航海へでかけます。嵐のまんなかへ向けて船をすすめます。
 トリディーガさんは、大嵐の夜の間中、船の舵をはなしません。朝になり嵐が去るまでずっと舵を握って立っていました。空想の嵐を本当に体験していたのでしょうか。子供たちをまもっていたのでしょうか。それともご主人を失った悲しみから立ち直るために?いろいろ想像が沸き上がりますが、ほんとのところはわかりません。
 トリディーガさんは、嵐で傷んだ庭の船にからまるツタを、庭園のオブジェにつなぎます。とても好きなシーンです。
 「わたしたちの船は、無事に、嵐をのりきったのよ。よくやったわね、水夫たち。船長もさぞよろこんでいるでしょう」
 港についたのです。
きょうだいは、毎年トリディーガさんをたずねます。庭師の水夫長は年を取って庭の手入れができなくなってので、木々が茂ってそこに船があったことがわからなくなりましたが、トリディーガさんは、ちっとも気にしません。
 けれど、きょうだいは、この庭に船があったことを忘れないのです。
 前回の投稿の絵本「おおきなきがほしい」でも思うのですが、空想の力はとてつもなく大きい。そこには何もないのに。何もないということこそが心に大きく力を働かせるのでしょうね。不思議で素敵な読み心地の絵本です。
 クエンティン・ブレイクの挿絵も素敵です。トリディーガさんがとってもおしゃれです。
