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第143回 帆船・キャンプファイア・海賊・楽しい夏休み!

「ツバメ号とアマゾン号 ランサム・サーガ1」 岩波書店
アーサー・ランサム全集版:1967年6月発行 487ページ
(新訳版 ランサム・サーガ岩波少年文庫版 上下巻:2010年7月 340ページ/332ページ)
アーサー・ランサム/作・さし絵 神宮輝夫・岩田欣三/訳
原著「Swallows and Amazons」 Arthur Ransome 1930年

ジョン・スーザン・ティティ・ロジャのウォーカー家の4人きょうだいが、イングランド湖水地方の湖で過ごす夏休みの物語です。(ほんとは、2才の末っ子の女の子がいますが小さいためお留守番。)
あれこれを禁止する大人たちから開放され、子どもたちだけで帆のある船をあやつり、湖にある小さな島でテントを張って、たきぎを集めてキャンプファイア、自分たちで釣った魚を調理し、戦争ごっこをして、自由な時間を満喫します。
1929年のお話なので、90年ほど前ですね。なんと昭和4年です。
物語のさいしょでは、末の男の子ロジャが、おうちの前で待つお母さんに向かって、帆船のマネをしてジグザグに道を走っています。すでに、ロジャは空想にはいっているんですね。
水の上では、向かい風を受けている場合、帆に風を受けて早くすすませるため右・左とジグザグに船をはしらせます。それを「間切る」というんですね。
センターボード、メンスル、フォアステー・・といったヨット各部の名前や船の操作方法などのカタカナがたくさんでてきますが、意味はわからなくてもまったく問題ありません。どうしても気になったら、章の最後の説明を御覧ください。

湖で溺れないか、風邪ひいたり、怪我したりしないかと、親としては、かなり心配です。
ウォーカー家のお母さんはおおらかで空想豊かな人。ジョンやスーザンの大きいきょうだいたちが小さい子たちの面倒をみて危ないことはしない、と信用しているからこそ、きょうだいが楽しめるのでしょう。
レモネードのことを「ラム酒」、コンビーフの缶を「ペミカン(冒険家たちの携帯保存食のこと)」、空想力のないアレコレうるさい大人たちのことを「原住民」などとよんだりしますが、おかあさんもそれにあわせておしゃべりします。子どもたちの空想につきあえる、素敵なおかあさんです。

こどもたちが乗る船の名前は、ツバメ号です。タイトルには「アマゾン号」ともかかれていますが、こちらは、ナンシーとペギイのブラケット姉妹がのっている帆船の名前です。
彼女たちと、互いの船をとりあう戦争ごっこがはじまります。リーダーを決める、けっこう大事な戦争です。風の向き、互いの位置、船を隠す場所などに工夫をし、千恵をしぼって競うのは、とても面白いです。

それからもうひとり、重要な役割の人物、ジム・ターナー。こちらも豊かな空想力を持つ素敵な大人です。ナンシイ・ペギイの姉妹のおじさんです。この夏は、小説を書くのに夢中で海賊ごっこをまったくしないので、ナンシイ・ペギイ姉妹がむくれています。オウムを飼っていて大砲のある屋形船で暮らしているので、「宝島」という小説にでてくる冷酷な海賊「フリント船長」と、ツバメ号きょうだいがあだ名をつけました。なかなかおもしろい役割を果たします。

心躍る夏休みの冒険です。楽しくて肩のこりがほぐれるような気がします、個人的な感想ですが。よろしかったらお手にとってみてください。

シリーズは、全部で12冊。新装版の岩波少年文庫ですと全24冊。
「2巻:ツバメの谷」「3巻:ヤマネコ号の冒険」「4巻:長い冬休み」「5巻:オオバンクラブの無法者(オオバンクラブ物語)」「6巻:ツバメ号の伝書バト」「7巻:海へ出るつもりじゃなかった」「8巻:ひみつの海」「9巻:六人の探偵たち」「10巻:女海賊の島」「11巻:スカラブ号の夏休み」「12巻:シログマ号となぞの鳥」
シリーズによって、ウォーカーきょうだいではない人が語り手になります。オオバンクラブのトムや、ドロシアとディックのD姉弟もすてきな子たちですよ~。

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第69回 強すぎる王女

「はるかなアジアの高原」が舞台です。王が娘の婿を探しています。
王女あるいはおむこさん候補が知恵をしぼってうんぬん・・というよくあるとおりに話がすすまない、ちょっと変化球なお話なんです。
このお話の原著は1976年。40年以上も前のお話なのに新しく感じるというのは、なんだか寂しいものがあります。

「王さまのうま」 ほるぷ出版 1980年1月発行 32ページ
マイケル・フォアマン/作 じんぐうてるお(神宮輝夫)/訳

はるかなアジアの高原に、ひとりの王女さまがおりました。
金髪で、色白で、ほおにほんのり赤みがさしている、そんなかわいい娘ではありませんでした。
髪が黒くて、おはだも浅黒い、大きなひとでした。お城ぐらしが退屈で、馬に乗って高原を駆けめぐっている、そんなひとでした。
王さまがお婿さんに選んだ、国で一番のお金持ちに会ったとたん、からからと王女が笑い、階段の下へ投げ飛ばしてしまいました。「お金なんか関係ありません。尊敬できる人、私より強い人でなくては、結婚しません!」
そう、王女はとてもとても強かったのです。

さっさと娘を結婚させ片付けたかった王さまは、レスリング大会をひらくことにしました。娘をレスリングで負かせそうな男を、遠い遠い国々まで大募集します。対戦方法が、トーナメント形式ではなく、王女と一対一で戦うってのは、負担が大きくてたいへんそうですが、なんだか面白いです。ただし負けた際は、馬を100頭さしださねばなりません。なかなか抜けめない王さまですよね。ゼッタイ手放さない!というようなお父さんよりはまあマシでしょうか。
屈強な男たちを相手にリングで勝ち続ける王女さまでしたが、ある日、貧しいが姿の美しい若者がやってきます。「私は貧しい木こりの息子でございます。負けたときに差し上げる馬も、100頭どころか、1頭もございません。けれども、私は王女さまと試合をしたいのです。」
この実直そうな男なら勝つだろう。強すぎて誰も勝てない娘をはやく片付けたい王さま、有頂天。木こりの男と結婚して思い知るがいい・・と、試合することを許します。

見物人たちも、この試合には何か特別なものがある・・と感じとっていました。
王女と若者は、リングでがっしりと組みあい、そのまま動かなくなりました。ほんとうに姿の良い若者でした。王女は、若者の顔をじっとみました。
そして・・・
いつもどおり、ひねってたたんでおしつぶしてもみくちゃにして、リングの外へと投げ飛ばしてしまいます。
予想外の行動に読む度に笑ってしまいます。

この時の見物人たちの表情に明るさはありません。今までは挑戦者たちが負けても、笑いながら観戦していたのに。これまでの挑戦者には足りないものがある=王女が勝って当然、と思っていたということでしょうか。ハンサムで実直そう、それでもダメ。王女の結婚したいとおもう男は、いったいどんな男なのだろう、とみんなもびっくり仰天したんではないでしょうか。
しかし、さすがの王女も、ちょっと迷ったのかなあ・・という感じが面白いですね。何かと何かを天秤にかけたのだと推察いたしますが、それは一体なんでしょう。
ムコ候補者たちをちぎっては投げたリングの上から、ぴょんと馬に飛び乗り、男たちから勝ち取った何百・何千・何万の馬を引き連れ、高原を走り出します。
ああ、なんと軽やかな王女なんでしょう。

このお話をわたしが初めて読んだのは、たしか15年ほど前。当時は、姿の良い若者を受け入れなかった王女さまを不思議におもったものですが、年を経て再読しましたら印象がコロリとかわりました。拒絶ではなく選択なのだ、と感じます。年齢もありましょうが、立場や性別でも感じ方はおおいに違うでしょう。いろんな方の感想をきいてみたい絵本です。

『今でも、時々、王さまや王女さまたちの夢の中を、黒髪の王女に率いられた馬の大群が、足音高く駆けぬけるそうです。そんな時、王さまたちはうなされ、王女さまたちはあこがれるといいます。』
という最後の一文にも含みを感じ、フフッと笑ってしまいます。