「ないた」 金の星社 2004年9月発行 32ページ
中川ひろたか/作 長新太/絵
一日一回 ぼくはなく。どうしてだろう? そんな絵本をご紹介いたします。
大人になったら泣けません。いやうそです。わたしは映画を見ては本を読んでは泣き泣きしています、こっそりと。心が震えるとどうしたって涙がでちゃうんですもの。
実際に苦しいこと、悲しいこと、困ったことがあっても、大人はその場では泣きません。ぐぅっとこらえ、あとで泣こう、とおもうので精一杯。
感情をあらわにすると、後でおもいかえした時に恥ずかしいのです。丸裸にされたような気持ちになるのです。酔っ払って気分が開放されてしまい、ついつい喋りすぎたりはしゃぎすぎたりしたのを悔やむのと似ておりますね。ちょっといや大いに違うかもしれませんが、まあお許しくださいませよ。
この絵本の少年は、転んで泣き、ぶつけて泣く。けんかして、しかられて、悔しくて、寂しくて、心配で、嬉しくて、一日に一回は泣く。子供の頃、わたしもよく泣きました。泣くのを我慢してさらに泣いちゃったりね。きょうだいとケンカして泣かしたり泣かされたりしたこと、思い出しました。
幼い涙なんですよね。だがしかし今思えば、なんにも考えず感情のままに泣くことの、ああ、それのなんと気持ちよかったことよ。幼い涙もこれまた良いもの。
『おかあさんの おふとんにはいったとき、おかあさんの めから なみだが でた。つーっと、まくらに ながれて おちた。』
『ないてるのっ てきいたら「ううん」って、いった。』
大人になってくると、そうはいきません。お父さんやお母さんは、包丁で指を切ったくらいでは、人前で泣いてはいけないのです。だからこそ、おかあさんの目から流れる一粒の涙の意味が重いのです。大人になると涙する回数は減るけれど、どうしたって流れてしまう涙は大切なものになっていくように思います。
このシーンの涙がどんな涙なのか説明がないためいろいろ想像してしまって、こみ上げるものがあります。嬉し涙だといいなあ。
人前で泣けなくなってきた皆様におすすめしたい作品です。
長新太さんの挿し絵も素敵です。明るい黄色・オレンジをポイントに明暗がくっきりしていて目を引きます。「こわくてないた」の見開きページにはちょいと衝撃がきました。じっとみていたいような早くページをめくってしまいたいような、そんな気持ちになる挿し絵でした。